「農民美術」をご存知でしょうか。
現在では長野県の伝統的工芸品に指定され、多くの方々に知られていますが、
その始まりは大正初期にさかのぼります。
版画家・洋画家として知られる山本鼎(やまもと かなえ)が
1919(大正8)年に始めた農民美術運動。
山本鼎は日本で初めて「版画」という言葉を使い始めたのだそうです。
今ではごくごく一般的な言葉になっていますね。
また、それまでの図工教育は手本を写す「臨画」という方法が当たり前だったのですが、
自然や静物を見て自分が感じたように表現する「自由画教育」を進めた人でもあります。
こちらも現在ではごく当たり前の教育方法です。
当時は先進的で理解も得られにくかったかもしれませんが、
美術教育に対してたいへん卓越した視点を持っていたことがわかります。
その山本鼎がロシアの農民の手工芸品に想を得て、日本でも広めようと
長野県の上田市周辺において農閑期の農家に木彫工芸品の制作を
推奨したのが農民美術運動の始まりです。
長野県を発祥としたそれは、大正から昭和初期にかけて一時全国にまで広がりました。
自由な発想を生かすことのできるその寛容な精神は、
「木片(こっぱ)」人形という、木材を削り出して彩色した素朴な人形や
飾り皿や飾り額、実用的な箱物など多岐にわたる製品を展開してきました。
信州の草花や風景を彫刻・彩色した商品はかつてこの地域の代表的な伝統工芸品として
「農民」という言葉を離れ、専門の職人や作家を多く生み出し広く愛され続けてきました。
当店で扱っている木彫品の多くは「農民美術」の流れを汲む職人の方々が製作したものです。
このページトップの画像は、鳩のボンボン入れや砂糖壺などを作っておられる
春原敏之さんの工房の様子です。
春原さんは叔父の工房に出入りしながら技術を身に付けてきたそうで
それを引き継いだ鳩シリーズ以外にも美しい草花などを木彫製品にしています。
池田初男さん(故人)は長野県の農民美術連合会長を務めた重鎮で、
深彫りと重みのある美しい彩色技術が卓越しています。
池田初男さんが上田獅子を制作している様子が、
NHK長野放送局のサイト内「わがまちの手仕事」に掲載されています。
同放送局のサイト内、
トップページの下方にある「わがまちの手仕事」から、
県地図の上田市から現れるメニューの
「農民美術」をご覧ください。
倉澤満さんと鈴木良知さんは兄弟で工房を営んでおり、フクロウや四季の草花など
さまざまな絵柄を器用に彫り上げて現代的な感覚の製品作りをされます。
また、倉澤さんのお嬢さんは彩色を手伝い、自由なアレンジで
これまでになかったような鮮やかな色使いや新しいデザインの木彫品に挑戦しているそうです。
作り手たちが減少する中、信州の木彫を次世代に継ぐ若い人たちの活躍もあって頼もしいかぎりです。